関東支部 第3回 支部総会・懇親会を開催

2013年11月21日(木)

台風の合間を縫った10月19日、関東支部 第3回 支部総会が新橋駅前で開かれました。
常に新しい試みを展開する関東支部。昨年はお台場でバーベキューという開放感あふれる総会でしたが、今年はパーティールーム「G-STYLE」を会場に、戸田脩司支部長と野村格常任理事のギターと三味線のコラボ演奏も行われ、楽しく愉快なひとときになりました。

「知っている人、少ないし」って思わないでください。

そんなキャッチフレーズの案内に誘われて、会場に足を運んだのは16名。関東を中心に福島県からの参加もありました。

冒頭、戸田支部長が「石の上にも3年。関東支部ができて3年がたった。課題はもっと若い人が集まること。ぜひご協力をお願いしたい」と挨拶がありました。
戸田脩司支部長
引き続き、同窓会本部を代表して高屋伸啓副会長が大学の近況報告などを話し、関東支部発展への期待の言葉をおくりました。
高屋伸啓副会長
来賓者挨拶ではバイオ環境学部の深見治一学部長が太秦キャンパスにともなうキャンパスの新体制ビジョンを説明。「ますます社会へ目を向けた学生を育て地域へのにぎわい作りをすすめたい」と話されました。
深見治一教授

各議事の審議のあと第1号議案の平成24年度事業報告及び、第2号議案の平成24年度収支決算報告が提案され、全員一致で採択されました。
続いて、第3号議案の平成25年度事業計画(案)及び、平成25年度収支予算(案)が提案され、全員一致で採択されました。
最後に第5号議案の役員改選について提案があり、全員が再任されました。
総会

続く懇親会では佐藤慶一副支部長が乾杯のご発声。関東支部のますますの発展を願って声高らかに乾杯が行われました。
懇談
互いに名刺交換や近況、2年後に控えた太秦キャンパスの話題に花が咲いていました。
中盤、戸田支部長がギターを持って登場。野村常任理事の三味線とのコラボ演奏で会場を盛り上げていました。
ジョイントライブ
また、会場ではテーブルの両端に置かれた水もしくはビールが入ったカップに 、ピンポン玉をテーブルの両端から投げ入れあう競技「ビアポン」も行われ、ビールを手にそれぞれが楽しみながら想い出話に花を咲かせていました。
ビアポン

集合写真
 

 

“関東支部 第3回 支部総会・懇親会を開催” への2件のフィードバック

  1. 船越勝久 より:

    実は、私は東京には因縁じみた思い出があるのです。
    それは滋賀県支部総会及び懇親会の報告に対するコメントで触れました。
    私が京都学園大学とは別に、受験生の宿で受験した難関大学と言いますのが、東京にありまして、
    私はその難関大学を第一志望、京都学園大学を滑り止めで受験したんですね。
    しかし、京都学園大学のみ合格しましたので、それでこれは御縁があるなと思って入学し、卒業したのですが
    今となりましては最初から、同大学を第一志望で受験し、逆にその東京の難関大学は受験しなければ良かったなと、後悔したり受験しても無意味に思えたりします。
    それに京都学園大学は東京でも入試を実施していますし、同窓会に於きましては、関東支部が発足し、
    この様に東京都内で、総会及び懇親会が開催されています。という事は、京都学園大学は東京に御縁があるという事になります。
    それを考えれば考える程、同大学を卒業して、本当に良かったと思えるのは勿論ですが、逆にその東京の難関大学を受験しても、無意味に思えてならない今日この頃です。

  2. 船越勝久 より:

    続けてのコメント、失礼します。私が京都学園大学の同窓生でありながら一体何故、同大学とは別にその東京の難関大学も受験したのか、不思議がる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
    それはそういった大学が当時の受験生の間で、人気が高かったのもそうですが、実は丁度その頃の、我が国がバブル経済を謳歌していた影響により、
    東京の町が今日以上に活気を帯びていたんです。それで必然的に東京の難関大学を目指す受験生が増加し、そういった大学の人気が高まる様になったという訳です。
    このニーズに応えるべく当時の国内の旅行会社によって受験生の宿、というツアーが企画されましてそれを利用する必要があったんです。つまり需要と供給の関係なんですね。
    しかし当時は今日以上に18歳人口が多かった関係で、東京の難関大学など簡単に受かる筈がありません。ましてや京都学園大学及びそれに準じた規模の大学ですら合格は難しいとされていたんです。
    ところが私は、幸運にも京都学園大学にのみ合格しましたので、当然そちらに入学し、そして四年で卒業しました。
    その後、バブル経済は私が京都学園大学に入学した翌年に崩壊し、
    更にその翌年をピークに18歳人口は減少の一途を辿り、遂に今日に於いて少子化が叫ばれる様になったのです。そして受験生の宿につきましては今となりましては、インターネットで細々とされているに過ぎません。
    この様に受験生の宿はバブル経済が生んだ、ビジネスモデルであり、結局私はそれに、踊らされていたのではないかという気がします。
    そういった意味に於きましても最初からその、東京の難関大学を受験せずに京都学園大学を、第一志望で受験すれば良かったと思います。

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